東京外国語学校発祥の地
2022.10.21
みなさんこんにちは!
大手町周辺には、学校の発祥となった場所がいくつか存在することをご存知でしたか?このうち3カ所をピックアップし、学校の発祥の地シリーズとしてお伝えします!前回の東京大学発祥の地に続き、今回は東京外国語学校発祥の地をご紹介します!
現在の神田錦町、一ツ橋には、五代将軍綱吉が建立した筑波山護持院元禄寺がありました。享保2年(1717)正月の大火で焼失した跡地が「火除地」となり、護持院ケ原と呼ばれて市民の憩い場になっていたのがこの地周辺です。
地下鉄東西線竹橋駅の北200mにある学術総合センターと、南隣の如水会館との境界近くには、赤い石碑が建っています。
碑文によると、東京外国語大学の起源は安政元(1857)年に創設された蕃書調所まで遡りますが、直接の前身である東京外国語学校が開設されたのは、明治6(1873)年、当時の 東京府神田区一ツ橋通町一番地だったそうです。東京外国語学校はこの日を建学記念日として、碑を建立しました。その後昭和15年に滝野川区(現北区)西ヶ原に移転し、昭和24年に東京外国語大学となりました。さらにその後、平成12年府中キャンパスに移転しています。
東京外国語学校は、周辺の大学や学校と共にこの地の出版、印刷、製本業の発展に寄与していきました!前回お伝えした東京大学発祥の地から比較的近くにあるスポットなので、周辺を歩く機会があればぜひ立ち寄ってみてください。次回もお楽しみに!